向き不向きについて思うこと

写真家を目指した頃、本質の写真が撮れる事が夢でした。ラグジュアリーな世界にこそ、大人の本質がある事に気がついた30代。ラグジュアリーにある本質を知りたいとイタリアへ渡った40代。本質を知るからこそラグジュアリーな写真と向き合える50代。今ではラグジュアリーの中にこそ、本質があるのだと思っています。

こんにちは、写真家の冨樂和也(ふらく かずや)です。

これはどんな仕事にも言える事だとは思いますが、やりたい事が必ずしも向いている仕事とは限らないもので、自分では気がつかない意外なものに適性があったりする事がよくあります。趣味ならば下手の横好きなどといって、周りの人も許容してくれますし、なんなら愛らしく思ってもらえる事もあるかもしれません。しかしながら、これがいざ仕事となると少し様子が変わってきます。もちろん適性があれば好きな事を仕事にすることはとても幸せな事なのです。

でも、もしもそうでなかったとしたら、、、

苦労をします。何故なら思ったようには仕事が得られなかったり、クライアントの満足も得られなかったりして、厳しい現実に晒されるからです。私自身が体験して、痛い思いを沢山しました。私の最大の過ちは写真撮影はサービス業だという点です。全く自覚出来ていませんでした。写真を上手に撮れる人間が写真家だと思っていたんです。
えっ?間違って無いじゃないかって?写真作家ならばそうでしょう!自分の内なるパッションを作品にぶつけて「どうだー!」で良いのです。簡単なんです!

でもね、仕事だとこうはいきません。クライアントのニーズに応える事が第一条件。というか、これが全てでしょう。なのでコミュニケーションが大切なのです。

私の失敗はここにありました。

なんとなんと、私は自分勝手に写真を撮っていたんです。一番やってはいけない事ですね。例えば先程の写真でしたら、ファッションがテーマなのですから、洋服がわかりやすいように全身を写すべきでした。靴がテーマなら、靴のディテールがわかるように撮影する必要があります。それが足元だけで、ましてやバックショットなんて、、、趣味が全面に出ているだけでした。

雑誌の仕事ならば、読む人の気持ちが一番大切なのです。当たり前ですね。当たり前過ぎて恥ずかしいです。ですがつい「この撮り方がいいですよ。」なぁーんて言っちゃうんですよ。前にも言いましたが、写真作家ならば、なんでもいいんですよ。でもね、仕事で撮影を、請け負ったカメラマンですから。黙って仕事に徹する事が出来なければ失格なのです。写真を撮る才能はあっても、カメラマンになる能力が欠けていたわけです。そういう意味で向いていない職業といえるでしょう。(もちろん今は違いますよ。紆余曲折色々とありましたから。)

ちなみにこれはちょと横へ逸れるのですが、実はシロウト相手に撮影をするのはもっとも苦手な撮影の一つです。なぜならシロウト相手が一番難しいからです。例えばスポーツでいうとオリンピックワールドカップなど、国際大会を沢山撮ってきた私ですが、実はそう難しい撮影ではないのです。何故ならば、選手が超一流なので何処をどう撮影してもカッコ良く写るからです。
シロウトを撮影する中でもダントツで私が一番難しいと思うのは子供の運動会です。何が起こるか全く解らない。撮影ポジションも他の父母と競争なので自由に選べない。背景も選べない。惨敗です。自信を失います。
そういう意味でスクールフォト等は全く向いていない撮影です。親御さん(クライアント)の気持ちが解りません。だって親としては失格の部類(詳しくは恥ずかし過ぎて書けませんが、、、)ですから。ニーズに応える事が出来ません。
本当にゴメンナサイ。とてもこれを仕事にする事は怖くて出来ません。
ただしピンなら自信があります!ですが集団や複数はとても難しいです。